シュリンゲンジーフは無視できない

 シュリンゲンジーフが行う(見ている方の心情としては「やらかす」に近い)アクションは、特に興味がなかった人の目や足を止め、釘付けにしてしまうものが多い。かくいう私もほぼ初めての出会いだったが、映像を見ただけなのに「おもしろい」「悪趣味」「政治的」「すごい」「大丈夫か」「馬鹿じゃないの」「本気」「稚拙」「かっこいい」「大変だ」「何も考えてなかったらどうしよう」「わざとらしい」「楽しそう」など、てんでばらばらの感情が入った引き出しを開けられ、中身を全部ひっくり返された気分になった。道端や広場で彼のアクションに遭遇した町の人々が本気で怒ったり呆れたりすることがあるが、その気持ちがよくわかる。楽しんだり怒り狂ったりすることはあっても、素通りすることは難しそうだ。

 この映画『フリークスター3000』には有名人の名前が数多く出てくる。翻訳をした際、楽しくもあり苦戦した部分のひとつでもある。参加者がドイツの政治家に扮し、激論を戦わせるトークショー(参加者のひとり、ケルスティンが現某首相にそっくり)。謎のCDが大特価で提供される通販コーナーの「Herzbube(ハートのジャック)」のCDって何だ? と調べると、フォルクスムジーク界の有名デュオ「ヴィルデッカー・ヘルツブーベン」。デュオのはずなのに、番組限定品はなんと「ソロ・アルバム」(しかも大量)。当時ドイツでテレビを見ていた人たちなら、きっとにやにやするネタが満載で、一瞬で過ぎていく映画字幕でどこまでできるのかという課題を抱えながらの作業となった。日本では馴染みの薄い分野もあるので、映画をご覧になったあと、気になった人や歌について調べたくなってくださったら嬉しい。

 当時ドイツの「お茶の間の人気者」たちのひとりだったシュリンゲンジーフは、政治家だろうが人気歌手だろうがアーティストだろうが、カメラのレンズ越しでは平等に(大抵の場合は陳腐に)消費されることをよくわかっていた人だと思う。逆に言うなら、普段良くも悪くも腫れ物を触るような扱いを受けている障害者たちも、シュリンゲンジーフのカメラの前では平等なのだ。参加者のパフォーマンスに「掘り出し物だ!」と目を輝かせるシュリンゲンジーフの態度は「偽善」か「搾取」かそれとも「純粋」か。答えは人によって違う(同じ人でもきっと時と場合によって違う)し、そもそも問われたら何か答えなくてはならないような気持ちにさせられるのが、彼の持つ魅力だったのだと考えている。 


(翻訳者:北條瞳)