「フリークは誰だ?」

 初めてこの映画を見たとき、ある友人を思い出した。オーストリア人の彼女は障害者施設でボランティアをした時の写真を私に見せてくれた。障害者たちと一緒に撮った写真、遊んだり、ご飯を食べている日常の様子を撮った写真。彼女は大笑いしながらその写真を見せた。「この時ねー、この子がねー、◯◯って言ったの!!おもしろくって!!わははは!」当時の私のドイツ語は初心者に毛が生えた程度で、はっきりと内容を理解できてなかったのだけれど、とにかく、私はムカついてしまったのである。なんで今まで障害者施設で働いてきた人がこんなバカにしたように笑っているんだろう、不謹慎じゃないか、と。しかし同時に障害者と大して関わった事もない自分が今まで施設でボランティアし、彼らと触れ合ってきた彼女に対し不謹慎だという感情を抱いている事実に腹が立った。フリークスター3000の中のシュリンゲンジーフの姿と写真を見ながら楽しそうに笑っていた友人の姿が重なった。目の前の友人たちを心から愛おしく思う二人の姿が。

 

 「ブリテンズ・ゴット・タレント」、「アメリカンアイドル」、「Xファクター」などスター発掘番組が人気である。ダイヤの原石を見つけ、彼らの成長を見守りながら応援することに人は強烈な魅力を感じるようだ。「フリークスター3000」の中での私のお気に入りはホルスト。母性本能をくすぐるマリオも捨てがたいが、ホルストの後半の追い上げは目を見張るものがある。力のあるパフォーマンス、絶妙なタイミングでのツッコミやボケ(?)、そしてなんといっても見ていてニンマリしてしまう愛らしさ。好きにならずにはいられない。「記者クラブ」の中での彼らの的を得た発言にもご注目。ドイツにおける愛とセックスをテーマにしたケルスティンの発言には会場からも拍手が沸き起こる。「入れて、出して、バイバイ。次の日には相手のことなんか忘れてる。」気づけばお気に入りの挑戦者を応援している自分、大笑いしながら番組を楽しんでいる自分、彼らの発言に頷く自分がいる。ふと思うのは、「障害者」とは誰なんだろう。「フリーク」なのは誰だろう?と。「彼ら」が急に「身近」に感じ、現実に腹を立てる。「私たち」と「彼ら」の違いは何か。違いなんてあるんだろうか?彼らが「フリークスター」なのであれば、私たちって一体

 

 あまりネタバレしてしまうと怒られるのでこの辺でやめておこう。

フリークスター3000に限らずシュリンゲンジーフの作品は観るものに社会の問題点を実体験させる力がある。それは説教臭く「これが正義だ!これが答えだ!」と語る三文芝居ではない。日頃、傍観している社会の有様を身近に、そしてあたかも実体験しているかのごとく感情が揺さぶられる。自身の感情を否定している暇など与えてはくれない。頭を固くせずに、見たときに沸き起こってくる自分自身の感情を楽しんでみていただきたい。

 (小長井貴絵 翻訳者 JaD経営)